言語の「空気」醸成プロセス--書評--「関係の空気」 「場の空気」

「空気」は社会に対して強い支配力を持つ。そして言語が「空気」醸成にどのように影響するかを分析した本。

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

 

言語と「空気」の関係は日本語だけの問題ではない

著者はあたかも日本語こそが「空気」によってその言語機能の本領を発揮したり、逆に悪影響を及ぼすかを指摘しているが、英語や他の言語でも大部分は同じことがいえるだろうと思った。たとえば、本の冒頭のラーメン屋での会話の例。

客A: 「うーむ、というわけか」
客B: 「そういうことだ」

という会話も彼らが、
・ラーメン通の会話
・ライバル店の同業者の会話
国税職員の会話
...
などで、AとBの共通認識は全く異なるが、彼らの間でのその認識に一寸のずれもなく完全に理解し合っているだろうという(事前に「空気」を理解しているという前提条件がある限り)。
ただ、これは日本語に限らずだと思う。

A: "Hmmm, this is it."
B: "Yeah, this is..."

のような感じでも全く同じ表現力を持つだろう。ポイントは、日本語に限らず「空気」は社会や関係性に大きな影響を及ぼすのである。それは間違いない。

「関係の空気」と「場の空気」

「関係の空気」とは、人と人とが共有する認識空間のことを指し、それは彼らの言語による情報伝達力は飛躍的に向上させることもある。

  • 1対1の関係において発生するものであり、互いの対等性が前提となる。
  • これが崩れたとき、空気が壊れミスリーディングやミスコミュニケーションが発生しやすくなる。
  • 著者は特に、日本語能力の低下のため、この対等性が崩れているのが現代、と主張する。

一方、「場の空気」とは3人以上集まる場における共通認識空間、といえる。こちらはいかに多くの人を「場の空気」に巻き込むか、という点が先ほど異なる点といえる。「略語」を使うことは「場の空気」醸成に役立つ、という指摘は面白かった。

略語を使った「場の空気」のコントロールマーケティングに役立つと感じた。たとえば、本書でもあった「リストラ」という言葉。本来のリストラクチャリング=「企業を再構成して再活性しよう」という経営用語が、「人員整理」という刺激的なスローガンを「リストラ」という略語=シンボルに押し込むことでほぼ全く別の概念となってしまう、という話。この「リストラ」という言葉を初めて聞いた人がどう反応するかを考える。

  1. まず、「リストラ」という言葉を駆使してコミュニケーションしている他人の存在に気がつく(しかもたいていキラーワードは話の核心付近で使われる)。
  2. そこで、「リストラ」という言葉を自分で調べるのだが、
  3. その言葉の意味を知った時点で、「リストラ」が醸成する「場の空気」の内側の人間になっており、
  4. それを会話に自然に導入することで自分が「場の空気」の外野に居る人間に対して影響を及ぼしている(ステップ1の自分が影響を受けたように)。

このように、略語=暗号化により人の知りたいという欲求を刺激し「場の空気」の存在を気づかせ、その暗号を解読した時点ではすでに「場の空気」の内側の人間に転向してしまっているのである。かなり強力なツールではないか。

コードスイッチ話法

「です、ます」調と「だ、である」調を混ぜて会話を構成する手法のことで「空気」をコントロールできる。会話の緊張と緩和のバランスをコントロールすることができる例として、たとえば、金八先生

みなさーん、いいですかー。命は大切なんだ。ボクはそう思いまーす。〇〇君、そうだろう。君の身体にも熱い血が流れているんだ。そうでしょう…。

 この話法をうまく活用している人として元首相の小泉さんと芸能人のみのもんたさんが挙げられていた。

子供に日本語を教えよう(特にですます調大事)

最後の章では、日本語の窒息問題に対する著者の解決策案の提案を行っている。同意できたのがですますによるコミュニケーションを教えろ、という主張。

ですます調というのは、初対面の人と接するときに最も使える日本語でありスタンダードともいえる。コードスイッチ法や謙譲・尊敬という強弱をつけるにもまずこれができていないとどうにもならないのである。

他人との距離感や「空気」のコントロールに、言語能力は必須なのである。子供の言語教育にまず必要なのは英語ではなく、こういうところなのだろう。