エリーカよ、お前もか --書評-- 脱「ひとり勝ち」文明論

2004年に製造された電気自動車の開発を進めた清水浩さんの著書。
本の位置づけは、環境問題におけるアルゴアの『不都合な真実』の電気自動車版といえる(世間に一石を投じ流れのきっかけを作る)。

脱「ひとり勝ち」文明論

脱「ひとり勝ち」文明論

 

 難しいことは書かずにわかりやすく表現を練ってあり、中学生から大人まで読めるという点で、目的に即した内容となっている。

 

清水さんはアカデミックかつ実務的でバランスがよく、「既存技術の組み合わせで新しいものを作る。軸を組み合わせることで、競争の少ない分野で新しいものをうみだす。」という思想はとても同意できる。

 

ただやはり今振り返ると、なぜエリーカがテスラになれなかったか、という点を考えざるを得ない。電気自動車素人なりに仮説を立ててみた。

 

仮説1Unixマシンを電話機として認識させることで既存市場を奪取したiPhone
iPhoneは名前と形を「携帯電話っぽく」することで、「あくまでこれまでの携帯電話が機能拡張されたものですが」というメッセージを送った。

結果、既存のブラックベリーとかガラケーとかのユーザーが乗り換える敷居を低くした。iPhoneの中身はUnixマシンで、あのスケールであの操作性は凄いんだけど「Unixがこんなに便利に手元で使える」とは敢えて宣伝しなかった。
これと同様に、テスラは既存自動車に形を寄せている一方、エリーカは8輪に代表されるようにあくまで"次世代感"にこだわった。そのためエンジン自動車好きの心をつかめなかったのでは、という説。

 

仮説2ファイナンス力の違い
Wikiによるだけでもテスラの資金調達は、

  • 2004年 750万ドル シリーズA投資ラウンド
  • 2005年 1300万ドル シリーズB投資ラウンド
  • 2006年 4000万ドル シリーズC投資ラウンド <- Google創業者出資
  • 2007年 4500万ドル シリーズD投資ラウンド
  • 2008年 4000万ドル シリーズE投資ラウンド

となっている。当時同じ規模感で日本では資金調達無理のような気がするので、圧倒的資金力がそもそも戦闘力の次元が異なる要因となった、という説。

 

仮説3: 起業環境の違い
リーマンショック後、アメリカではGMクライスラーも経営破綻した。これは20世紀型産業と21世紀型産業の転換のシンボルともいわれ、自動車産業の世論に対する影響力は低下した。一方、日本はいまだにトヨタやホンダがメディアを通じて大きな影響力を及ぼしている。
新しい電気自動車という提案をしたベンチャー起業家に対し、その時世論に影響力のある人々が協力的か非協力的か、という点は大きいのではないか?

具体的には、アメリカでは2にあるように当時インフルエンサーであるGoogleがテスラに出資したのに対し、トヨタやホンダが(当時は水素自動車の方が興味があったりしたので)相対的に協力体制が低かった、という説。

 

2と3は、アメリカと日本の社会習慣やビジネス土壌に依存するのでどうにもならないところもあるのだけれど、当時から清水さんもアメリカで勝負をする、というのも選択肢だったのかな、と。


他にも、イーロン・マスクのカリスマ性とか、車のデザインがかっこいい/悪いなどの論点もありそうだけど、それよりも↑の要因が相互に絡んで、エリーカとテスラの現在の着地の違いにつながったのではないかと当座の結論。

 

清水さんはまだまだ元気そうなのでこれからもっと行って欲しい!
テスラがまた「ひとり勝ち」してしまう前に。